英治の部屋
2011年11月19日(土)大雨:身延山と紅葉の十谷温泉
2011年06月18日(土)雨:タマネギ収穫と高尾山偵察
2011年04月24日(日)静岡(畑は手入れが大変)
2011年04月11日(月)西谷浄水場(桜が満開)
2011年02月13日(日)静岡
2011年01月03日(晴れ)御前崎の御来光
2010年09月18日(土)入笠山
2010年06月06日(日)
2010年05月08日(土)富士芝桜
2010年04月28日(水)アイガー北壁(白い蜘蛛)
2010年04月24日(土)ソケイヘルニア手術
2010年03月21日(日)
2010年03月16日(火)登山ガイド合格通知
2010年01月11日成人の日(月)。登山ガイド実技検定試験
2010年01年03日(日)年末年始の夕日、御来光
2009年12月19日(土)富士山で遭難
2009年11月29日(日)登山ガイド試験
2009年05月01〜03日静岡
2009年04月07日(火)晴れ(桜満開の称名寺)
2009年01月24日(土)晴れ(八福神めぐり)
2009年01月03日(土)晴れ(御来光4連発)
2008年05月02日〜04日
2008年05月13日(火)
2008年05月25日(日)雨
2008年05月28日(水)晴れのち曇り
2008年06月01日(日)晴れ
2008年06月04日(水)曇りのち晴れ
2008年06月11日(水)曇り
2008年06月22日(日)曇り
2008年07月13日(日)
2008年08月10日(日)
2008年08月17日(日)
2008年08月31日(日)曇り
2008年10月19日(日)晴れ
2008年11月09日(日)曇り
2008年12月07日(日)晴れ
2008年12月13日(土)曇り
2008年12月16日(火)晴れ
2008年05月02日〜04日
今回の連休に、妻と義母を連れて信州に� �行に行った。自宅の横浜から、義母のいる静岡県榛原郡まで、車を飛ばす。四月末までガソリンが125円が5月1日から160円になった。道路特定財源のため自民党、公明党の賛成で衆議院で可決したため再度ガソリンが値上げした。何も連休から値上げしなくても良いと思うが、、、。
自衛策として、東名高速代だけでも節約しようと思い、100km以内通勤割引を使う。横浜ICから沼津ICで降り、又入り直して吉田ICで降りる。この時、ETCカードを2枚(名義は2人分)使用するのがミソである。そうすると、高速代が約半額で済む。
又、吉田ICから豊科ICまで東名高速、中央高速を使うと、高速代とガソリン代がとんでもない金額になる。そこで、地図と睨めっこする。吉田ICから冨士ICまで行き、朝霧高原を北� ��して甲府南ICに入り豊科ICまで行く。
距離が30%程度短くなり、ガソリン代と高速代が相当安くなる。豊科ICを降りて、大町方面に進むと、ドライブインスイス村が見えてくる。毎年訪れているが、、、今年は、スイス村のチューリップ畑は、菜の花畑一色である。これも、経費節減のためか、、、、、。
若干寂しい感じがする。高瀬川ダム手前にある葛温泉の温宿「かじか」の湯に浸かりに行く。一泊24000円以上する高級宿であるが、日帰り入浴は800円で入浴出来るので、義母と妻と三人で入りに行く。源泉かけ流しの落ち着いた宿で、白旗史郎もよく利用しているのか、、、白旗史郎のサイン入りの北アルプス鹿島槍とエベレストの写真が飾ってある。
風呂から上がり、評判のランチを注文するが、、� �事前予約が必要との事、、、。以前は予約なしで食べる事が出来たが、仕方なく、ザルソバを3人分を注文する。しかし、2人分しか用意出来ないとの事、、、、なぜに?。時間はまだ13:00前なのに、他のメニューは山菜そばとうなぎ丼しか無いのに、仕方なく2人分を三等分にして食べる。三人ともあまりお腹が空いてなくて丁度良かったが、それにしても、この時間帯に売り切れとは?。客は殆どいないが???。不景気のため?、、、。
宿から、30分程で、扇沢に行けるので黒部ダムに行く事にする。5月2日の連休前なのに、扇沢の駐車場は満杯状態で1回1000円の有料駐車場を避け市営無料駐車場の空きスペースを見つけ駐車する。時間も午後のせいで、観光客が少なくラッキーであったが、トロリーバス� �出発時間になると、続々と観光客が集まりだした。話し声を耳をすまして聞いていると、殆どが中国語である。トロリーバスの中は日本じゃあないみたい。駐車場には中国語を書いた専用バスが停車していた。昔の日本の海外旅行の農協さんみたいである。現在の中国のパワーを強く感じる。
何時もスキーでお世話になっている、中綱湖の民宿に今夜の宿をとる。最近は目覚めが早く、5時前に起きる。関東地方は天気は悪いが、ここ長野県北部は快晴である。朝の中綱湖の散歩に出かける。湖畔で、立派な三脚とデカイカメラを構えている人がいる。良く見ると、湖畔の側に5〜6本の桜の木がようやく満開になりかけている。その桜を早朝から狙っているみたい。私も、バカチョンデジカメで一枚撮る。宿に帰って、民宿のおば� �んに聞いて見ると、2年程前に、ここの湖畔の桜が新聞に載ったため、全国からここの桜を撮りに来るとのことである。
宿を出発して、桜の撮影ポイントの橋に来ると大勢のアマチュアカメラマンが大勢カメラを構えて、湖畔の桜を狙っていた。マスコミの力の大きさに今更驚く。逆に恐い面もあることを知る。この後、五龍遠見尾根、水芭蕉で有名な奥裾花と戸隠のソバを食べて、静岡に帰る。連休は義母の親孝行の旅でした。
2008年5月13日(火)
昨日の東京テレビWBSで、日本の底力と言うコーナーで、以前(相当昔)勤めていた会社(東洋電機製造株式会社)の紹介があった。この会社は、一部上場の日立、東芝と肩を並べる車両メーカーである。私が入社当時は、社員3000名近い 大会社であったが、オイルショック、ニクソンショック、バブル崩壊といろいろ有り、現在は600名程度の会社になっている。
同期入社の友人も、会社の幹部になってガンバッテいる。昨日のテレビは、この会社は、集電装置(パンタグラフ)は日本のシュア80%以上との紹介で、この装置の技を横浜の金沢八景の工場で造っている様子を紹介していた。昔を思い出し、私も、青春時代この会社にお世話になり、良き先輩にめぐり会い、良き伴侶も見つけることが出来た事を幸せに思う。
2008年5月25日(日)雨
昨日、横浜市栄区にある横浜自然観察の森に行く。
横浜霊園の前にあり広大な自然の森で、自然観察センターでガイドマップをもらい、コナラの道コースを1時間程かけて歩くその中には、上郷森の家があり日帰り入浴「かわせみ」の湯に入るがあるが、、、ガラガラである。(トゴール・ウオ−ムタイムという鉱石を通しミネラルと微量の放射線が溶解している)。
最近、横浜にあるいろいろな公園(横浜自然観察の森、四季の森公園、陣が下公園、保土ヶ谷公園、等等)に行くが、私は子供自然公園が一番好きである。南万騎が原、森の神社に車を置き、子供自然公園の裏側から入る。数日前まで草ぼうぼうだったが、しっかり草が刈られてあったが、今日は雨のため、それなりに濡れる。小さな小川を渡る所に,かわせみが留まれる枝があるが、今日は生憎いない。
木橋を渡り、階段を登って行くと、私のお気に入りの大きな木が現れる。その木脇に木のテーブルが3ケ所旨く配置されている。
その大木の上を見ると、枝が揺れているので何かと見上げると、台湾リスが走り回っている。昨日行った横浜自然観察の森にも台湾リスを発見した。鎌倉の天園コースを歩くとめったやたら、台湾リスに出くわす。その内、台湾リスに、この近辺、占領されてしまうのではと危惧する。
歩道橋を渡ると、天気の良い日には、丹沢山塊、大山の左手に、立派な冨士山を拝む事が出来るが、生憎の雨模様で拝む事が出来ない、残念無念。このあたりは、桜山と言って、名の通り桜の木々で一杯であるが、無残にも山半分、桜の木の上部が見事に切られている。能書きによると、太い幹にするためご理解との公園管理事務所の張り紙があったが、自然の桜山ではいかんのか、、、、、、、、?。
この桜山を下って行くと、小さな池がある。ここの池にカワセミが飛来するのか、何時もなら高級なカメラを三脚に立てて待ち構えている人が何人かいるが、今日は生憎の雨で誰もいない。カワセミが来易い様に、池の隅に止まり木も用意されてある。以前、早朝に来た時、運良くカワセミを見たことがある。
この先に、子供動物園があり、最近横浜市も財政難か大型動物(豚、山羊、羊、馬等々)は金沢動物園の方に移され、ウサギ、ハムスター、ニワトリ、、、等しかいなく、何とも侘しい限りである。
子供動物園の手前にある池は、春先に100羽を越えるキンクロハジロの渡り鳥も北に帰り、大きな鯉が雨の中、悠々と泳いでいる。回りを見渡しても誰もいない静かな日曜日の早朝である。
2008年05月28日(水)(晴れのち曇り)
今週の月曜日、あの三浦雄一郎が75才でエベレストに登頂したことが新聞に載っていた。その数日前に、ネパール人の76才の男性が三浦氏より早くエベレストに登頂したので、マスコミ的には、世界年齢最高者と言う名誉は無くなっが、70才と今回75才と前期高齢者と後期高齢者と言う快挙を成し遂げた。
今回、北京オリンピックのため、中国のチベット側からエベレストを目指していたが、聖火がエベレスト頂上に登るまで足止めを食らい、仕方なく前回と同じネパール側からの登頂となった。五月中に登らないと、モンスーンが吹き始めると登山どころではなくなる。8300mにC5を設営して11名からのサポート隊の協力でやっと登頂出来て、さぞ、スポン サーも胸をなぜおろしている事であろう。
普通の一般公募隊のエベレスト登山は、600万円程するが、三浦氏の場合は、もろもろ数億円はかかっていることだろう。現在までエベレストに登頂している数は1200名以上もいて、日本人も113名もいる。毎年、世界各地から大勢の人がエベレストに登りに来る。普通に登るだけなら、なんの話題もおこらない。日帰りで登って来るとか、子供が登るとか、後向きで登るとか、、、、等しないとマスコミもスポンサー関心をしめさない。
個人でいく場合、あまりにも費用が高すぎる。最近は入山料の安いチベット側からの登山が人気があるいたいである。そのためネパールからの登山客が減り、観光資源に頼っているこの国は、入山料を下げたみたいである。
最近、「エベレ� ��トのぼらせます」(大蔵喜福著)と言う本も出ているぐらいである。ある程度の体力と暇とお金と運(天候)があれば、誰でもエベレストに登れる事間違いない。
2008年06月01日(晴れ)
昨日、雨のため赤城山行きを中止する。そのため、早朝南万騎が原にある子供自然公園の大木に会いに行く。雨のため誰もいない。しっとりして良いもんだが、、、今日午前4時半過ぎ、窓を開けると雲の切れ間から、朝日が差し込もうとしている。快晴間違いない。改めて昨日会いに行った大木に会いに行く。何時もの南万騎が原の森の駐車場には誰もいない。
最近、軽い登山靴に慣れているので、少し足を鍛えるためにも、運転用のサンダルから3kg近くある高所登山靴に履き替え、子供自然公園の裏側か らクサリを潜り抜け、朝露がいっぱいの草原に入り込む。小さな小川の橋を渡り、木々の間に朝日が差し込むお気に入りの大木に会いに行く。大木の側にある木のベンチで、家から魔法瓶に入れてきたコーヒーをじっくり味わいながら至福の時間を過ごし帰路に着く。
2008年06月04日(水)曇りのち晴れ
最近、中国の四川で大きな地震があり何万人の人が死亡した。自宅から保土ヶ谷駅に行く途中に通称「ネコ坂」、役所の名称は「西富士見坂」に急な崖を削り、山の斜面に沿ってマンションが建てられた。無理な所で、早い竣工のため完成後あまり日にちが経っていないのにかかわらず、マンション前のコンクリートの道路の隙間が日にちが経つほど、隙間が目に見えて大きくなっている。マンシ ョンの中は知らない。
その内、大きな地震が来れば、マンションごとずれる事間違いないと思う。シロウトの私でも分かる。崖を削ったそのマンションのゴミ置き場は、10m程の高さで、コンクリートで保護されている。元々山なので、排水用水抜きエンビ管が等間隔埋め込んである。よく見ると、何とスズメの夫婦が何組も仲良く顔を出している。ココなら、耐震強度も申し分ない。又、猫やカラスに襲われる事無く、安心して子育てが出来る事間違いない。ホント、スズメ君は、良いところを見つけたものである。
2008年06月11日(水)曇り
2008年06月08日(日)曇り。大阪の実兄が、大阪より来る。保土ヶ谷駅にて、待合わせして板橋にある従姉妹の所へ行く。そこで食事をよばれて、従姉妹の息� �に皇居の桜田門まで車で送ってもらう。丁度、車で靖国神社にさしかかった時、秋葉原方面に向かって、覆面パトカーが猛スピードで吹っ飛んで行った。
桜田門で、私と実兄を降ろしてもらい、二重橋で写真を撮っていると、妻からTELあり、今、秋葉原で殺人事件があった見たい。我々もこれから、秋葉原に行こうとしている矢先だったのである。空を見ると、ヘリがもう三機、秋葉原方面に飛んで行き旋回している。時間を見ると午後一時前であった。
東京駅まで行き、秋葉原駅で下車して、ヨドバシカメラ方面に降りる。兄の息子がこの付近の会社に就職したので、一度、見てみたいとの事で一緒に探しに行く。その後、JRのガードを潜り、秋葉原の電気街の方に行く。行くと交差点の周りは人人人人人人でいっぱいで、パ� �カーがいっぱい、消防車もいっぱい、、、、、、。報道陣もいっぱい、、、、、、、、、、、、、、。上空はヘリが6機も旋回していて非常事態。
人垣越しに、交差点を覗き込むと、、、、、靴や衣服が散乱していた。何故か交差点の中に、ニッポンレンタカーのトラックがフロントガラスが割れて一台のみ停車していた。もう被害者は救急車で病院に運ばれて居なかったが、、、、、、。各隅で、報道陣とカメラマンに取り囲まれて、目撃した人がインタビュ−に応じているので覗き込んだが良く聞こえない。この時、相当大きな事件が起きた事を知る。
いじめに対処する
家に帰り、テレビをつけると、7人死亡、10負傷とのニュースで、事件の大きさに驚く。我々も、もう少し早い時間にその場に居ればとんでもない事になったかも知れない。その後の新聞報道によると、青森の名門高校を卒業して、夢破れて、派遣会社に就職。関東自動車工業に派遣され、真近に首切りがあるとの情報で、自分も首切りの対象と思い、人生を悲観して、、、、次々とナイフで人を刺し、犯行に及んだとの報道。多分、死刑覚悟で犯行に及んだ事だろう。死にたければ、青樹ケ原の樹海でも行って死ね。
最近、格差社会、フリーター、派遣労働者、等々の問題が吹き出てきている。多分、このような事件がおきると、報道機関が小さな事でもニュースに取� �上げるので、多くなるのは間違いない。私の隣近所の息子さんもみんな派遣社員。従姉妹の息子も派遣社員で自宅から通っているから良いもので、地方から出てきて、派遣労働(有期社員)で、何時首切られるかビクビクしながら、正社員の8掛け(?)で、将来の希望も結婚も出来ない。
私も、午前中だけ派遣会社から派遣されて、パートの仕事に行っているが、派遣元の人に、お宅の会社で何故パートを採用しないのかと質問すると、外注に出した方がいつでも首に出来るからとハッキリと言われた。その人も有期社員である。たいして我々と大差ないが、、、、。これが、今の日本社会の現状で、政府も本越しを入れて取り組まないと、、、とんでも無い事が起きる事間違いない。
2008年06月22日(日)曇り
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小雨の早朝、子供自然公園に行く。この時期、鎌倉の明月院、長谷寺、成就院のアジサイが有名だが、、、。わざわざ、そこまで行かなくても、アジサイの見どろは沢山ある。先週、鎌倉アルプスから明月院に下ってきた時、その人の多さに驚き、たまげた。
何時もの、神社前に車を駐車して、新しい長靴を購入したので、足元を気にしなくて良いので何処でも歩いて行けるのでラクチンである。早朝と天気が悪いので誰もいなく、静まりかえった森の中に大木(楠木)が待っていた。歩道橋を渡り、森を下り、池を廻り込むと、地元小学生が植えた、田圃があり、その土手脇に、今が盛りのアジサイが雨の中でひっそりと咲いている。周りには誰もいない。何だか得したみたいで嬉しくなる。
その先きにある、 湿原に踏み込んでも足元を気にしなくても入って行ける。一羽のカルガモと出会う。カメラを向けても私を気にする様子もなく葦の中に悠々と入って行った。これからは、この公園の違った楽しみが出来たみたいである。
2008年07年13日(日)
金曜の夜から、かみさんの実家の大井川河口の吉田に行く。天気予報だと晴れて暑くなるとの予報だったので、藤枝の奥にあるびく石山(525m)に、朝飯前に登って来ようと早朝4:00に出かける。最近は日の出が早いので、もう空は薄明るい。藤枝の瀬戸川沿いを北上する。瀬戸谷温泉を左手に見て、ドンドン進んで行く。朝霧が深くライトを点灯しながら山道を登って行く。
静岡県下有数のお君の滝を過ぎる、、、、、若干おかしいなと思いながらドンドン山奥� ��入って行く。峠を越した時に行き過ぎた事を確認する。このまま行くと天竜の二股方面(夕方のニユースで二股で37度以上の記録を知る)と大井川の川根方面の標識が出てくる。いまさら戻るのも、たいぎなので、そのまま川根方面に進む。そこから金谷に進み、島田と吉田の町境の静岡空港建設中の脇を走るが、、、茶畑が無残にも削られ赤土が剥き出しで大雨が降れば大変な事になる。しかし、空港建設の補助金の為か、、、牧の原台地の茶畑の農道は非常に立派である。
7:00に吉田に帰り、本家の裏側にある畑の畝造りと雑草狩りに朝食後義母と出かける。今年は、オレンジの実がぜんぜん実っていなく、しかし、桃の実は鈴なりになっている。その他、トウキビ、トマト、ゴーヤ、カボチャ、玉ねぎ、スイカ、ジャガイモ、 柿、サトイモ、ナス、キュウリ等少しずつ作付けしている。無農薬なので、、、、その周りは雑草でいっぱいである。鍬と鎌で除去するが、この真夏なみの暑さで額から滝のような汗が吹き出てくる。農家のみささんの大変が身にしみて感じる。昼前に帰り、泥と汗に紛れた体をシャワーで流し、、出た後の缶ビール(アサヒスーパードライ)が生きている喜びを感じさせてくれる。
午後からは、すぐ近くの吉田漁港の防波堤で、真夏の太陽を浴びて投げ釣りに挑戦するが釣果はゼロであるが、、、この景色を満喫するだけで文句はない。夕刻、本場日本の吉田うなぎをご馳走になり、横浜の家路へと向かった。
2008年08月10日(日)曇り
早朝、こども自然公園にウオーキングに行く。久しぶ� ��に楠木の大木に会いに行く。その根元に生えているカントウマムシ草を見るがこの連日の猛暑で若干疲れ気味である。木の上を見ると台湾リスが暑ぐるしく鳴いている。橋を渡り桜山に出て、天気の良い冬の日には、ハッキリと冨士山が見えるが、この時期は、霞んでいて見ることが出来ない。
桜山を下って行くと、池の先に南万騎が原小学校の教育田があり、稲が60cm程にすくすく伸びており、この連日の暑さには稲にはもってこいみたいである。早朝にもかかわらず、犬を連れての散歩、後ろ向きでの散歩、ランニング等々、、、、それぞれの時間を過ごしている。
私の、後ろから軽やかな足音がすると思ったら、、、。、白い帽子の間から50cm以上はある茶色の髪を揺らし、黒いランニングシャツからは、小麦色した肌が眩し く、スカイブルーのトレイニングパンツを履いた170cmはある長身の女性が颯爽と走り抜けて行った。残念ながら、顔を拝む事ができなかっが、、、、さぞ素敵な女性に間違いないと思いつつ来た道を戻った。
2008年08月17日(日)曇り
こども自然公園に早朝ウオーキングに行く。もう神社の駐車場には3台の車が駐車していて、私の車を置くスペースが無い。最近皆さん出足が早いようである。仕方なく、奥の林道脇の少し幅広に何とか駐車して、楠木の木に会いに行く。どっしりと、いつもと変わりなく鎮座していて安心する。橋を渡り桜山を下って行くと、道路に落葉がいっぱい落ちていて、高年の叔母さんが一人竹箒で一生懸命はいている。朝の挨拶とご苦労様の言葉を残して大池にむかう。
犬の散歩、ジ� ��キング、散歩、釣りと今日は何時もより人が多目である。教育田の稲もすくすく成長している。その周りに植えてあるソラマメもすくすく育っていて、何だか安心する。その奥にあるピクニック広場の松林の中から、尺八の音色が聞こえてきた。空は曇り空で、何故か物悲しい音色である。
(頭と内蔵を蟻に食べられたセミ)
梅林と松林まで来ると、油ゼミとヒグラシが共演していたが空模様がいまいち芳しくないのでヒグラシが勢い好き「ケラケラケラ」が優勢勝ち一本である。セミの命は短くて地中に7年居て、ふ化して2週間の命である。その間に相手を見つけて交尾を成し遂げ天命をまっとう出来たセミは幸せであるが、、、、、、交尾も出来ず野垂れ死にして、蟻のエサになって頭、腹だけ食われ硬 い羽とガワだけ残された惨めなセミを多く見かけた。今の日本社会を垣間見る思いである。
2008年08月31日(日)曇り
教育水田の稲穂が順調に生育していることに安心する。
人の水田であるが、毎週ウオーキングのついでに見に行くが、、、、その成長を見るのが楽しみである。
神社の駐車場近くの畑に、60cm以上あるデカイ瓢箪が出来ていることに、新しい発見をする。
2008年10月19日(日)晴れ
久しぶりに、こども自然公園に行く。そろそろ、学校田の稲の刈入れ時期だと思い、早朝の田んぼに行く。やはり、見事に刈入れ済みであった。子供達が、力を合わせて、慣れない手つきで、鎌を持って刈込みをする姿が目に浮かぶ。
ここの、教育田に行く途中に、今が盛� ��の寒桜が満開である。この時期に桜が満開だと、なんだか不思議な感じがするが、
あまり、この時期の景色にマッチしない、やはり、この時期は、コスモスと稲穂である。
2008年11月09日(日)曇り
今日は、登山ガイドの試験日である。9月20日、野辺山で登山ガイドの講習会に参加してから、今日まで、それなりの、勉強をしてきた成果が試される。四谷にある弘済会館の4Fの萩の間に行くと、広島のDさんがいて、挨拶を交わす。金曜日の夜に品川に来て、今日に臨んでいる。大分気合いが入っている。
暫くすると、逗子のKさんも到着。遅れて、大阪のFさんも、夜行バスで到着。この前、野辺山で登山ガイドを受けたメンバー松戸のNさんだけが、まだ到着していない。試験時間が始まっても、松� �のNさんは来ない、、、、。あまりにも試験科目範囲が広いので、今回はパスしたみたいである?。今回の受験者数は、28名で、5名の席が空いている。結局23名で自然ガイド、登山ガイド、国際アスピランガイドの試験を受ける。午後から、専門科目だけ受ける人が2人くる。その内1人は外人であった。
1.10:00〜10:50 共通科目 基礎的知識
2.11:00〜12:00 共通科目 ガイド業務関連知識
3.13:00〜13:50 専門科目 登山ガイド専門知識
4.14:10〜15:00 専門科目 安全管理
5.15:20〜16:10 小論文
(基礎的知識の参考図書)
自然保護を問い直す。環境問題とは何か。山の自然学。人間にとって森林とは何か。
地球環境問題とは何か。森林と地球環境保全。森林環境科学。健康・体力のための運動生理学。
登山の運動生理学百科。登山医学入門。スポーツ栄養学。
(専門科目、登山ガイド)
森林の100不思議。野の花基本50。高山植物50。鳥のおもしろ私生活。
フイールドガイド足跡図鑑。山岳気象入門。山岳地形と読図。日本エコツーリズム協会のサイト。
環境省のエコツーリズム。
(専門科目、安全管理)
登山の医学。山の救急医療。救急基礎講習教本。救急蘇生法。雪崩学。山の天気。
全図解レスキューテクニック。
(小論文)
中部山岳地帯の、1500m� ��近の山をガイドするにおいて、安全管理に留意する点を800字以内で述べよ。
以上の問題を夕方まで、取組んだので非常に疲れた。試験範囲が非常に広いので、特に基礎的知識はお手上げであった。他のメンバーに聞いても同じ様な回答である。この試験を受からないと、、、野辺山での登山ガイドの実地免除が生かされてこない。又、テストを合格すると、来年2月に雪崩対策技術の講習会(立山地域)とレスキュー技術の講習会(丹沢)を受けて、初めて登山ガイドの資格を有する事が出来る。
試験後、大阪のFさんは用事があって抜けたが、あとの三人で反省会を新橋の居酒屋で行う。しかし、登山ガイドの資格を取っても、、、、いろんな面で大変な事は確かである。2月の講習会で出会える事を祈り別れる。
2 008年12月07日(日)晴れ
早朝、こども自然公園にウオーキングに行く。いつもの楠の大木の周りにイチョウの大木があり、イチョウの落ち葉の上に朝日が木々の間から射し込み何とも言えない静寂な朝の一瞬である。橋を渡り桜山まで来ると、何と富士山が朝日を浴びてピンク色に輝いていた。
2008年12月13日(土)曇り
今年も、もうあとわずかである。ATKハイキング部会で鶴巻温泉にある吾妻山に忘山会に行く。天気も良く、鶴巻温泉駅より35分程度で155mの吾妻山に行くことが出来る。頂上からは、大磯にある湘南平の鉄塔がハッキリ見え、平塚組の自宅もすぐそこに見えそうである。
頂上のベンチでかみさんが自宅で作ってきたパンとロイヤルミルクティーを、みんなで、素晴らしい景色を見な� ��ら飲む。その後、来た道を戻り、鶴巻温泉「ゆたか」の露天風呂で一年間の垢を落とし、大広間で生ビールと豪華な食事とプレゼント交換で、今年を締めくくった。(日帰り温泉「ゆたか」が来年1月15日で閉店との告示で驚く。せっかく、いい日帰り温泉を見つけたと思ったが、、、)。
世界的、金融危機が、、、、、日本経済に大きな影響を、いろいろな業種に波及して来ていること間違いない。
2008年12月16日(火)晴れ
家の前の学園通りから6時50分の日の出と学園通りからの冨士山の夕焼けを見ることが出来る。もう少し高ければ冨士山に沈む夕日を拝むことが出来るが残念。ちなみに、ここの標高は57mである。
2009年01月03日(晴れ)
年末年始、御来 光4連発をお見せします。
2008年12月31日の御来光
(伊豆熱川温泉より伊豆大島方面)
2009年01月01日の御来光
(大井川河口吉田海岸より太平洋)
2009年01月02日の御来光
(御前崎灯台より太平洋)
2009年01月03日の御来光
(静岡県藤枝、ビク石山より伊豆半島方面)
2009年01月24日(土)晴れ
(横浜瀬谷八福神めぐり)
瀬谷駅13:00〜(八福神めぐり)(露天風呂湯楽の里)〜17:30瀬谷駅
午前の仕事を終わらせ、星川駅ホームでかみさんと待合わせをして、私は横浜駅.、かみさんは星川駅より八福神めぐり往復割引券を買って瀬谷駅に向かう。改札を出て、売店で、その往復割引券を見せると、売店のオバチャンが「金粉入り純� ��茶2袋入り」を渡してくれる。それを、うやうやしく頂いて、八福神めぐりに出発する。行き方として駅の両側から順当に1番からと、8番からと、行き方が異なる。
我々は、順当に1番からめぐる。北口出口より横浜方面に戻り、瀬谷小学校の横に一番目の長天寺境内にあるダルマ大師(大師は釈尊以来28代インドの高僧。禅宗の初祖。世寿150歳といわれている)にお参りする。このお寺は、以前1889年瀬谷村役場がこの客殿がおかれ、横穴古墳跡でもあり、なかなか立派なお寺である。大師堂の中にある太鼓を一つ鳴らしてお祈りをする。
大恐慌の原因についてのエッセイ
今日は、天気も良いので、八福神めぐりに高年夫婦、高年女性軍が、チラホラ見える。長天寺境内にあるベンチで腹ごしらえをして、第2番の大黒尊天(妙光寺)に向かう。歩いて行くと、50分かかるので、瀬谷駅前より鶴間駅行きで竹村町まで行く。やはり、八福神めぐりの人達も考えは同じで、竹村町まで乗車する。バス停の先に、妙光寺が見える。皆さんゾロゾロ狭いバス道を行く。
妙光寺は、日蓮宗のお寺で、本堂の前に大きな目を見開らいた、眉毛の太い日蓮の青銅の像像が立っている。大黒様は、本堂脇の鐘突堂の隣に、大きな袋を肩に担いで、小さなお堂の中で、我々の来るのを待っていた。駅で貰った八福神スタンプ帳を開いて順番待 ちして、シッカリと2番のところに押す。押し終わった順に、3番の善昌寺にみなさん向かう。案内図がおおまかなので、一組の夫婦は、ドンドン違った方向に行ってしまった。
瀬谷養護学校の手前に、オール100円で、漬物、大根、どろ付きネギ、大きなブロッコリーが自宅前の自家製陳列棚に、キチンと置かれその脇に自家製お金投入箱が置かれてある。かみさんは、どろ付きネギが欲しかったが、、、、まだ先が長いので、小さめの葉っぱ付き大根を一本ゲットして、ザックに押し込んで、禅昌寺に向かう。浄土宗禅昌寺は、鎌倉光明寺の末寺で1533年に開かれ、阿弥陀様がご本尊である。
竹林の脇に恵比寿様(風折烏帽子をかぶり、鯛を釣り上げニコニコ顔の恵比寿神は福徳をもたらす日本の神)があり、境内に� �、梅の花が、三分咲きで、ほのかに梅の香りが漂っている。ここから、4番の徳善寺まで30分の道程で、その途中、大きなお屋敷が現れる。それは、瀬谷銀行跡(養蚕業が隆盛を極め製糸工場が設立され製糸業の最盛期の頃、明治40年(1907年)に創業され、30年にわたり、地域金融業の中心となり実業界、政界に大きな影響を与え、地域の発展に寄与した)で、その当時の実力の規模が分かる。この付近、豪農のお屋敷が沢山あり驚く。
瀬谷図書館の裏手に4番の曹洞宗徳善寺がある。大きな寺門を潜り、赤い頭巾を被った六地蔵が我々を迎えてくれる。赤い実をつけた千両の花の先に、毘沙門天(四天王の随一として北方を守護し、多聞天と呼ばれ、財富、福徳、消災の神)のお堂があり、紅梅も咲いていて、趣きあ� �境内である。ここまで、来ると、八福神めぐりの人達も大分バラけてきた。漸く、ここで半分である。
コースだと瀬谷駅へ行くが、、、、そのまま真っ直ぐ行くと、相鉄の線路とぶつかり、ガードを潜ると、5番の真言宗賽蔵寺(弁財天:唯一の女神で知恵財福、芸道の神)への近道である。厚木街道に面していて、交通量が多く煩いが、三代将軍、徳川家光と関係ある、由緒正しいお寺である。弁財天の脇には、水子供養の可愛い小さな地蔵様が数百も並べてあり、静かに手をあわせて6番の西福寺に向かう。
5分ほどで、真言宗西福寺(布袋尊:知恵袋、福徳大量の開運と安産の聖者)に着く。この境内にも六地蔵尊があり、ここは、全員赤い涎掛けをしている。その先の本堂の前には、「千年シイ」の大霊木があり、今に� ��倒れそうなので、四方からツッパリされ、何ともイタイタしいかぎりである。真新しい布袋様の脇に、周りが梵語でお釈迦様の両足が描かれている所に何故かいて一円硬貨が、要所要所に置かれてある、、、、何故何故??????と思いつつ7番の日蓮宗宗川寺(福禄寿:短身、長頭、多髪で常に鶴を伴っている。人望福徳を受ける福神)に向かう。20分程歩くと、中原街道にぶち当たり、コスモ石油を左折すると、すぐ宗川寺が現れる。
寺門を入ると、見事なイチョウの大木が2本あり、大木の下に福禄寿のお堂がある。その先の本堂の脇には、短足の日蓮上人の銅像がある。何故か、日蓮宗のお寺には、日蓮の銅像があるのには驚く。これで、やっと7番が終わり、最後の8番全通院勢至堂(寿老人:中国の神、南極老人と� ��言われ知恵と長寿を約束してくれる神)に向かう。あと、20分で完めぐりである。ガンバロウ、、、、、、、。
下瀬谷橋を渡ると、環状4号線にぶち当たり、歩道橋を渡り急階段を登り切ると、勢至堂(1890年から1943年までこのお寺の境内に分教場がおかれていた。藤の大樹がある)の境内に出る。境内では、境内で子供達がボール遊びをしている。子育地蔵尊があるその先には、広いネギ畑が広がっている。我々は、その脇を通り最後の寿老人を拝んで完祈する。帰りは、瀬谷駅まで徒歩40分。若干疲れたので、瀬谷橋よりバスで帰るが、途中スーパー銭湯「湯楽の里」を見つけ、途中下車して露天風呂に浸かり、風呂上りの生ビールをひっかけ、家路についた。
一番。長天寺(ダルマ大師)
二番。妙光寺(大� �)
三番。禅昌寺(恵比寿)
4番。徳善寺(毘沙門天)
5番。賽蔵寺(弁財天)
六番。西福寺(布袋尊)
7番。宗川寺(福禄寿)
8番。全通院勢至堂(寿老人)
2009年04月07日(火)晴れ 称名寺
午前中の仕事を終え、満開の桜と太鼓橋が完成したとの新聞記事を読み、称名寺に行ってみる。京浜急行の金沢文庫で下車して、国道を渡ると、電柱に金沢文庫の案内標識が目に入る。約10分程で称名寺の赤門に着く。門の左に、紅白の珍しい桜の木が見事である。その先には、満開のソメイヨシノが仁王門まで続いている。
仁王門を回りこむと、朱色の真新しい太鼓橋が現れる。太鼓橋の上から、池を覗き込むと、岸近くの岩に、親亀が、� �の上に小亀、孫亀が日向ボッコしている。何とものどかな風景である。その先の、朱色の橋を渡ると本堂が現れ、その中に小さいピカピカのお堂が鎮座している。
池の回りの桜の木の下で、シートを広げ、車座になって三味線の伴奏で陽気に歌って盛り上がっている高齢者がいる。その奥の山崖に金沢氏の祖、北条実時の子、北条顕時(あきとき)と孫、金沢貞顕(さだあき)の墓がある。その脇に中世の隧道があり、その先に県立金沢文庫がある。
それを、横目で見ながら、称名寺市民の森の八角堂に向かう。すぐ、100段以上ある急な階段が始まる。階段の途中、秩父、西国の仏様が一番から順番に鎮座している所を過ぎ、登って行くと、八角堂が現れる。
ソメイヨシノほどではないが、山桜が見頃である。高年の男 性五人が、焼酎で盛り上がっている。そこからは、真下に称名寺が見え、その先に八景島が望まれる。ここから、稲荷山を越え、金沢北条実時(1224〜1276.鎌倉幕府の第二代執権であった義時の孫)の墓を見て20分程で元に戻るコースがあり、称名寺に戻る手前に、ニリンソウが見事に咲き誇っていた。遠くに行かなくても、
近場に良い所はあるのだ。
2009年05月1日〜3日(静岡)
5月1日(金)
五月の連休に、義母から玉ねぎの収穫と畑の畝を作ってくれとの依頼で静岡の吉田に車を飛ばして行く。5月1日(金)の夜9時過ぎに横浜を出る。さすが、みなさん、考える事は同じである。金曜日に移動して、土曜日夜中零時以降、高速を出ると何処まで行っても1000円なので、金曜日の夜に� �かける人が多く、普段であれば、2時間もあれば、東名吉田ICにつくところ、深夜にもかかわらず、渋滞が裾野ICを先頭に26kmの渋滞である。結局、3時間半かかって、吉田ICに到着した。横浜IC〜吉田IC(1250円)で、この安さにはかなわない。
5月2日(土)晴れ
早朝、5時半より、妻の実家近くの畑に行く。マルマルと太った玉ねぎを引き抜き、収穫の喜びを感じる。その跡に、鍬で土をおこし畝を作るが、慣れない作業なので苦労する。畑の回りの雑草がのび放題だいである。釜で雑草を刈るが、、、、、中腰作業なので、背骨の手術のあとが痛む。その後、藤枝市郊外の「ゆらり」天然温泉に行き、野良仕事の疲れを癒しに行く。
5月3日(日)晴れ
早朝5時半より、畑に行 き、雑草を取りに行く。みかんの木の回り、柿木の回り、桃の木の回り、竹の木の回りと、雑草が生え放題である。朝から、良い汗を流し、朝風呂に入り、朝飯が旨い。その後、六月に開港する、冨士山静岡空港の展望台へ、石雲寺に車を置いて見に行く。地元の人達が、大勢見物に来ている。問題の杉林が遠くに見える。静岡県知事が辞職する事で、決着がついて、近じか切るみたいである。ホントウに、富士山静岡空港が必要なのか?疑問に思うのは私だけか。
(大井川河口、幅は30m程)
午後、吉田港近くの大井川河口にウオーキングに行く。河口近くには、ハマナスの花が満開なのに、驚きを感じる。目を海に向けると、何だか海の色が変わっていることに気がつく。大井川と海との潮目がハッキリと分 かる。この事は、話では聞いていたが、、、、大変な発見であった。
(潮目)
2009年11月29日(日)曇り
11月11日(水)に再度、(社)日本山岳ガイド協会の登山ガイド試験に挑戦した。
試験内容は去年と同じ形式である。
1.10:00〜10:50 共通科目 基礎的知識
2.11:00〜12:00 共通科目 ガイド業務関連知識
3.13:00〜13:50 専門科目 登山ガイド専門知識
4.14:10〜15:00 専門科目 安全管理
5.15:20〜16:10 小論文
今回は里山ガイド6名。
登山ガイド19名
国際ガイド2名
の受験者である。合格率20%〜30%と言われている。
今回は登山ガイドマニアル本が出来上がったので、それなりに勉強がやりやすかったおかげで
先日、合格通知がきて、やっと一安心である。来年、レスキュー技術講習と雪崩対策技術講習を受けて公認ガイド講習を受け、推薦を貰ってやっと、登山ガイドの資格を得ることが出来る。
何とか、資格をとって趣味と実益がかなえれば良いなと思うが、、、、、、。
2009年12月19日(土)晴れ
早朝、こども自然公園に行く。さくら山より富士山がハッキリと見える。昨日、富士山で元Fー1レーサーの片山右京氏の仲間二人が遭難したニュースが飛び込んできた。朝の新聞だと、南極の最高峰に行くための訓練の為に富士山に訓練に行き、遭難した模様である。御殿場口の七合目付近でテントを張り二人は、強風でテントごと200m程飛ばされ死亡した。片山氏は1人用テントで寝ていたので助かったようだ。
この日の早朝の富士山頂上は−26.4度で、日本列島に強烈な寒波が来襲していた。この時期の富士山は風が強く、七合目以上は雪がアイスバーンになっており、アイゼンの爪が効かない。
私も、何度も富士山に挑戦しているが、30年程前11月末に1人で富士山に挑戦して、強風と吹雪のため早々に退� �した記憶がある。この時期の富士山は要注意である。
2010年01月03日(日)晴れ
年末、例年の如く妻の実家。静岡の大井川河口、吉田に行く。御前崎まで車で30分程度なので、2009年最後の夕日を御前崎灯台に見に行く。初日の出は、大井川河口の住吉海岸へ行き、日の出まで温かい甘酒とみかんを貰い、お墓参り後、菩提寺の林泉寺の住職にお布施を渡す。島田の大井神社に初詣に行き御神酒と福銭を貰い、辛いカレーを食べて吉田に帰る。1月2日は大井川の川根にある川根温泉に浸かり温泉前の鉄橋に12時31分に通過するC11蒸気機関車を見て吉田に帰るパターンである。
御前崎12/31の夕日
吉田大井川河口の2010年1月1日の御来光
1/2の御前崎の御来光
1/2御前崎 よりの富士山
1/2川根温泉からのSL(C11)
1/3江ノ島の夕日
2010年01月11日成人の日(月)曇り
社団法人日本山岳ガイド協会の実技検定試験(義務講習)。(救助、登山ガイド資格)を丹沢の「やどりぎ」に受けに行く。現地9時30分集合であるが、自宅を6:50に車で出掛ける。東名(大井松田IC)を使うと8時前に到着した。寄(やどりぎ)の駐車場に行くと、まだ時間が早いため、誰もいないので寄沢を渡った林道の終点に車を置く。ゲートを越えて行くと一週1:30の寄自然林コースが現れ30分程行って帰る。なかなか面白いコースなので、次回チェックする。
やどりぎの駐車場に行くと、岐阜、高山、富山、浜松、大阪、山梨、長岡の車が駐車していた。多分 これらの車の人も、今回の実技検定を受けにきたのであろう。集合時間に集まると、講師(宮崎さん、平山さん他2名)で、受講生24名で4班に分けられ、6台の車で分乗して寄沢ゲート前まで行く。ゲートを越え、寄沢の河原に集合して今回の講習内容の説明を受ける。
「講習内容」
09:30 受付
09:35 オリエンテーション
10:00 講習
12:30 休憩
13:00 講習
16:45 講習後整理整頓
17:00 終了。講評と挨拶。解散
「講習項目」
1.レスキューに必要なロープの結び方と使い方。
2.支点設置技術
3.懸垂下降技術
4.怪我人の引き上げ技術
5.怪我人の梱包 、搬送技術
6.ショートロープ歩行技術
皆さん、それなりに経験あるみたいで、それぞれの項目をなんなくこなしていく。
懸垂下降技術以降は、滝ノ郷沢付近の杉林の伐採場の30〜40度程ある山中に移動する。
今回、怪我人の引き上げ技術で1/3システム、ショートロープ歩行技術、ザックを利用した背負い搬送等は、
大変勉強になった。
休憩時私の4班の人にどこから来たのか聞いてみると、、、、何と、鹿児島、札幌、山梨、浜松、秋田から来たとの事である。
皆さん、第二の人生の為に、、、、、資格を取るのか、、、、、中高年の人である。私もその1人だが、、、。
今回はそれなりに優秀だったので16:00に無事終了する。
2010年02月6日〜07日(
2月6日から2月7日にかけて、八ヶ岳の野辺山にて、冬山講習に参加する。登山ガイドの資格を得るには、冬山実技認定試験を受けるか、公認ガイドによる、冬山講習を受けて、推薦を受けなくてはいけない。2月6日に野辺山駅に8時に集合する。私は前日に、中央高速の双葉SAにて土曜日になるのを待って、野辺山駅に行く。さすが高速代土日の1000円は偉大で、双葉SAには多くの車が土曜日になるのを待っていた。
学生は、ウェストフィールド州立大学について言う
早朝4時過ぎに双葉SAを出発する。空は三日月で天気は良いようだ、、。南清里の道の駅まで来ると、三日月は消え、だんだん雲が厚くなってきて、空から白いものが落ち始めてきた。風も出てきた。ヘッドライトをつけて走行するが、吹雪で見通しが悪い。この時期の八ヶ岳の清里はドンより静まり返り、誰一人いなく、死んでいる町である。その街道を野辺山駅に目指す。
野辺山駅前には、こじんまりとした小さな駐車場があり、誰もいない。車にタイヤチェーンを装着するが吹雪のため難儀する。集合時間の8時に車から降りて駅舎に行くと、毛糸の帽子を被った毛の長い男性がいた。今回の講習者は京都の舞鶴から来た小谷さん のみである。暫らくして、フォルクスワーゲンの高級車がやって来た。中から、今回の講師の磯野氏が降りて来た。軽く挨拶をして、小谷さんを乗車させて、私は、その後をCRVで追いかけて行く。
八ヶ岳高原ロッジの上部にある海ノ口別荘地の中にある立派なログハウスに到着する。ここが今回の講習場所である。入口の階段に30cm程の積雪があり、私の車からスノースコップを出しまず除雪して、ログハウスの入口を確保する。雪を払って中に入る。15坪以上ある居間の隅に暖炉があり、マキを入れ部屋を暖めるが、、、天井が高く、、なかなか部屋を暖めるには大変である。
コーヒーを飲みながらオリエンテーションを行なう。自然観察の基礎知識の学習後、登山準備をしてスノーシュウを履いて別荘の雪原に地図を見ず� �、適当に雪原の中を登って行く。積雪は1m程ありスノーシュウを履いて丁度良い。別荘地の外れまで来て適当に動き回り、直線的に講習所の別荘に帰る。
午後からは、1/25000の地形図にこの別荘地から目標地に直線ラインをひく。そして、そこからまた直線ラインをひく。何回かくり返してこの別荘に帰って来る実習である。登山装備をしてスノーシュウを履いて雪原に飛び出す。地図と磁石を頼りに、道なき雪原を行くが木々の枝が邪魔である。普段は登山道しか行かないが、、、今回は良い勉強になる。
夕食後、暖炉にマキをくべつつ、、、お酒を飲みつつ、、、二人だけの講習で贅沢である。翌日は、地図と磁石を頼りに横岳登山口からソマ添尾根を登り、途中から道を逸れ1878mの三角点を目指し登山口に帰っ� �くる実習である。天気が良く、横岳に登る登山者のスノーシュウの足跡がある。我々は、1900m付近から逸れてバージンスノーの上をスノーシュウで快適に進む。キツネ、ウサギ、鹿等の足跡がある。夜中、動物達が動き回った様子が良く分かる。
昼食後、八ヶ岳連峰が良く見える雪原でツェルトで遭難者を包み、カナビナや雪玉をアンカーにしてスリングをインクノットにして搬送する実習を行うが、、、、遭難者を搬送するのが大変で有ることを認識する。野辺山の喫茶店で講師から評価を受け今回の講習を終える。
2010年02月17日〜20日 立山雪崩対策検定試験
2010年2月17日〜20日まで、富山県立山町芦峅寺の国立登山研修所において、日本山岳ガイド協会の雪崩対策実技検定試験を受けに行く。2 月17日午前中の仕事を終え、自宅の横浜を14:30分に家を出る。天気は曇り空でドンより雲っている。中央高速の談合坂SAの山々は降ったばかりの雪で木々は真白であるが、路面は乾いているにいるので心配ない。
途中長坂ICで降り、入りなおして松本ICで降りて、上高地方面を目指す。道端に30cm程雪があるが路面は乾いている。以前は新穂高方面に行く場合、安房峠を越えて行かなくては行けなかっが、、今は安房トンネルが出来たので随分楽になった。新平湯道の駅を過ぎ越中東街道を富山方面に行く。
さすが、富山方面に行くほど積雪が多く、今夜の宿泊所、細入道の駅には100cm以上の積雪があるが除雪されてあるので心配ない。到着すると、見覚えのある浜松ナンバーのデリカが駐車している。今年の1月11日の レスキュウー実技検定の時、同じパーティだった人の車に間違いない。やはり、立山研修所にいくのであろう。ここで1泊していくのであろう。私は、照明の少ない所で一晩の寝床を車の中で造る。
2月19日朝6過ぎ起きると、あたり一面真白である。車の回り、2〜3cmの積雪である。雪が融けるのを待って、8時過ぎに国道に出る。国道は積雪は無く、快調に立山に向かう。途中、芦峅寺の雄山神社の前立、中宮をお参りする。中宮は映画「点と記」の撮影場所である。奥社は立山3003mの頂上である。10時頃立山駅に到着するが、受付は13:00なので、駅側にある砂防博物館を見学する。ここが、砂防工事専用軌道の始発所であり、立派な箱物である。受付のお姉さん2人いて、私一人でこの館内を独占する。何箇所か� ��、ライブ映像画面があり現在の称名滝が映り出されているのには感動する。
今回の参加メンバーは40名で全国から参加である。講師も5名である。受験者は殆ど現役のガイドみたいである。同部屋の人(K氏:カナダ山岳ガイド N氏:朝日旅行社員U氏:日本体育協会山岳指導員などなど)も、、現地芦峅寺のガイドもいた。
何故にガイド等の資格があるのに、、、日本山岳ガイド協会の認定が欲しいのか?。
2月18日(木)曇り雪
(立山国立登山研修所)
13:00登山研修所で受付する。今日からの日程は下記である。
13:00〜集合、受付
14:00〜15:10 雪崩事故対策講義(杉坂)
15:30〜17:00 雪の基本的性質と雪崩の発生メカニズム(飯田)
17:10〜17:45 低体温症(高村)
18:00〜18:50 雪崩対策装備の説明(黒田)
19:00〜夕食
2月19日(金)曇り雪
07:00〜 朝食
07:45〜 実技会場(粟巣野スキー場周辺)
08:30〜12:30 @ゾンデ捜索練習
Aビーコン捜索練習
B埋没体験
Cゾンデによる人体感触体験
14:00〜16:30 D積雪断面観察 E弱層テスト
雪崩事故のセルフレスキュートレニング
17:00〜18:30 グループミーティング
2月20日(土)曇り雪
06:30〜 朝食
07:15 0000000検定場所(粟巣野スキー場周辺)
08:00〜11:30 0セルフレスキュートレーニング
12:30〜13:30 0筆記試験 解散
14:00〜22:00 0研修所〜立山IC〜北陸東海〜名神〜東名〜横浜
細入道の駅
神通峡
雄山神社の前立
雄山神社の中宮
(映画、点と記の撮影場所)
ライブ映像画面(現在の称名滝)
立山国立登山研修所
(クライミング壁)
2010年3月16(火)晴れ
今日、日本山岳ガイド協会から、二次試験合格通知が来る。
これまで、一次試験、認定ガイドによる、無積雪期講習、積雪期講習、レスキュー義務講習、雪崩技術対策義務講習を終えてやっと、日本山岳ガイド協会の認定ガイド(登山ガイド)を得る事ができた。
これからが、本格的にガイドの自覚を持って、勉強に実地に励まなくてはいけない。
責任も重い。
2010年03月21日
3月19日(金)� ��20日(土)
金曜日,御前中の仕事を終え、妻の実家の大井川河口の榛原郡吉田町へお彼岸の墓参りと畑仕事をしに行く。東名高速は三連休前の金曜日にしては空いている。横浜ICから吉田ICまで160km程あるが、2時間程で行けるので、苦にならない。しかし、渋滞すると4時間以上かかる時もあるので大変である。土曜日、日曜日の高速料金1000円は、我々にとっては有り難い。
夕刻、静岡の吉田に着いて、うどん、そばの専門店に行くが、、、、週末にしてはお客が少ない。注文してもなかなか注文品を持って来ない。イライラしているとやっと持って来たかと思うと丼物が少し冷たい。調理場もウエイトレスもリストラで減らされたのか?。これじゃ悪循環でお客は逃げる。
翌日、早朝実家近くの畑に行く。義母� �植えた玉ねぎがいっぱい青い葉を出して元気に育っている。抜いてみると玉ねぎはまだ早く小粒である。五月頃が収穫時期みたいである。玉ねぎの畝の脇に菜の花が咲いている、、、、、畑の回りにも沢山菜の花が咲いている。しかし、畝の脇の菜の花は邪魔であるので抜かれる羽目になる。水仙もいたる所に咲いている。
しかし、畝の脇の水仙は邪魔で抜かれる、、、、、。定位置に咲かないと可哀相だが人間の勝手で抜かれる羽目になる。定位置に咲いている桃の花は自慢げに満開の花を咲かしている。5m程の新しい畝を4つ造り肥料を与える。たかが5m程であるが、鍬で土を耕し畝を造る事は腰が痛くなり大変である。その後、墓参りに行く。畑に咲いている水仙、菜の花、桃の花があるので、お墓に供えるには丁度良い� �田舎のお墓の花は現地調達なので買う事はない。
その後、藤枝市奥にある不動渓谷の水車村「卯ノ木」と言う手打ち蕎麦屋に行く。脱サラか、定年退職してこんな山奥に蕎麦屋を造ったみたいで、白髪頭の60歳過ぎのオヤジが出てきて注文を聞く。せいろ蕎麦を注文するが、、、、大盛せいろ蕎麦は何故か出来ない?????。普通のせいろ蕎麦しかない。評判を聞いて満席である。味が良ければそれなりに客が来るが、一度信用を無くすと目も当てられなくなる。その後、藤枝市本郷にある瀬戸谷温泉「ゆらく」の露天風呂に浸かり帰路に着く。
2010年4月24日(土)ソケイヘルニア手術
4月初め頃、左ソケイ部に違和感があり、触って見ると、少し膨らんでいる。19年前ネパール(ポカラ)にトレッキ ングに行く前にやはり、右側のソケイ部に違和感があり、蒲田社会保険総合病院で診てもらうと、これはソケイヘルニアですと診断され、これは、外科手術しか有りませんと宣告される。その医師はヒマラヤの登山隊に参加した医師で、ネパールトレッキングに行くには、、、切って行った方が良いと言われ手術して一週間ほど入院した覚えがある。
今回、1月に登山ガイド認定試験のため、丹沢の寄沢でレスキュウー講習で70kgの人を登山道を背負って100m程歩く訓練をした。その時、下腹部に相当力が入り、、、、左ソケイ部にヘルニアが出たかもしれない?。しかし、右側もチクチクする。従来の手術法だと、10%程度再発する可能性があるとの事で、、、、要注意である。
寝ていると何とも無いが、� �起きてトイレに入り,ソケイ部を見ると握りこぶしより一回り小さい膨らみが現れる。手で押さえると元に戻り放すと、また膨らんでくる。この症状はソケイヘルニアに間違いない。この症状が続くとチクチクとソケイ部が痛い。その状態を放っておくと、飛び出した脱腸部分が、筋肉で締め付けられ戻らなくなった状態になり嵌頓(かんとん)状態になる。
腸が嵌頓(かんとん)を起こすと、腸の中を食物が流れていかなくなり、腸閉塞を起こす。また、締めつけられた腸に血液が流れなくなり、腸の組織が壊死して命にかかわる場合もある。早速インターネットで検索してみると、、、以前の手術(バッシーニ法)だとやはり一週間ほど、入院が必要であるが、最近は日帰り手術が可能との事である。その手術法は、近年開発され� ��人工補強材で穴を塞ぐ手術方法で、人工の膜(メッシュ状のプラグ)を張り合わせる。特殊な手術材料を使うため、手術後の抜糸の必要が無く、手術の直後から歩ける。との事で、日帰り手術の病院をネットで検索する。
新宿に新宿外科クリニックがあることをインターネットで知る。高島院長の回りに若い看護婦(看護士)が6人も写っている。早速電話してみる。状況を説明すると、若い女性の声で診察が必要ですので、一度来診に来て欲しいとの事である。4月9日の午後、仕事を終え、新宿駅南口に下車して、。久しぶりに新宿に来るが、、、若い人の多さに驚き、人を掻き分け甲州街道を都庁方面に向かう。7分程行った所にファミリーマートがあり、その5Fに新宿外科クリニックがある。8階建のビルで3フロアーが� ��いている???。やはり不景気なのか????。
5階のエレベータが開くと、目の前に入口が現れる。2007年開業したばかりなので、部屋全体が淡いピンク色で統一されていて綺麗。受付に若い女性が座っている。早速、受診表を書き込み、診察室に入る。見た目より若く見える高島院長50歳(東京医科歯科大卒、土浦協同病院、都立大久保病院等消化器を中心とした外科の研鑽を積み2007年開業)に症状を話しエコーの診察を受ける。
下腹部に力を入れると、腸が筋膜からとび出す様子がハッキリと見える。これは、ソケイヘルニアに間違いありませんとの高島医師の話で、心電図、血液を採取する。4月23日夕刻に手術する予約をして受付で精算していると、手術を終えた60歳過ぎの男性が、麻酔が切れて目を覚ます して、少し休んで精算しに来た。もう、歩いて帰れることに驚いていた。
4月23日御前中の仕事を終え、新宿外科クリニックに行く。ロッカー室に案内され、下半身裸になり手術服を着て手術部屋に入る。そこには、高島医師と若い看護士が4人いた。すぐ、手術台に横になる。上を見ると手術用の照明ではなく、普通の蛍光灯の照明である。右手を伸ばし、親指をまるめ込んで、腕の静脈に全身麻酔の針が入る。左腕に血圧計、胸に心電図が付けられて、すぐ、麻酔が効いてきて眠りに入る。
看護士が「安部さん」聞こえますか?。の声で目を覚ます。「手術が終わりましたよ」下半身に張ってあるテープを剥がす音がする。ソケイ部を消毒され、「足を少し曲げてください」と言うなり、肛門に座薬を刺し込まれる。手術� �から降ろされ、控え室で15分ばかり休んで、受付で精算(保険適用で45000円)する。よたよたとした足取りで新宿ラーメンを食べて、新宿駅より保土ヶ谷駅まで立って帰る。まだ、麻酔が効いているから、痛くないが、傷口が腫れていてテープを見ると、血がにじんでいる、、、、、、。
帰って4月24日は一日横になって安静にするが、、、薬が切れると、鈍い痛みがはしる。3日間程はおとなしくしておく。しかし、手術して、すぐ帰宅できるとは驚きである。医学の進歩に感心する。
2010年4月28日(水)アイガー北壁(白い蜘蛛)
4月1日は映画の日でオール1000円なので、山仲間のKさんとアイガー北壁の映画を横浜ブルク13に見に行く。以前(1999.8.13〜22)二人でアイガー東山稜へ登りに行� �。登山ガイド事務所に何度も足を運ぶがアイガーの天気が悪く、アイガー東山稜をあきらめ、メンヒとウングラフを登ってくるが、その時のアイガー北壁の凄さを思い出しつつ映画を見る。
(STORY)
「ベルリン・オリンピック開幕直前の1936年夏。ナチス政府は、国家の優位性を世界に誇示するため、アルプスの名峰アイガー北壁のドイツ人初登頂を強く望み、成功者にはオリンピック金メダルの授与を約束した。山岳猟兵のトニーとアンディは、難攻不落の山を次々と踏破し、優秀な登山家として知られ始めていた。二人は世界の盛り上がりに戸惑いながらも、<殺人の壁>と恐れられていたアイガー北壁への挑戦を決意する。山麓には、初登頂を目指す各国からの登山家や世紀の瞬間を見届けよ� �という報道関係者や見物客が集まっていた。
その中に、トニーのかつての恋人で、新聞記者をしているルイーゼの姿もあった。天候を待つこと数日。ある晩、トニーとアンディは北壁への登攀を開始する。彼らのすぐ後をオーストリア隊が追い、4人は快調に高度を上げて行くが、、、、メンバーの負傷や悪天候に見舞われ、想像を絶する状況へと追い込まれていく、、、、、物語である。」本作は70年前、実際にこの壁で壮絶な遭難に見舞われた登山家達をモデルにしている。
映画を見て、トニー・クルツが懸垂下降の途中、ザイルが無くなり、、、生きるために闘っている迫力あるシーンが次々と現れ、息を抜く暇がなかった。若干、映画であるのでオーバーな演出があるが、この撮影の為の苦労が目に見える。その後、この映画の元になったの「白い蜘蛛」を山と渓谷社から取り寄せ読む。その著者のハインリッヒ・ハラーは1938年7月にアイガー北壁に初登攀した四人組(カスパレク、ヘックマイヤー、フェルク)のひとりである。彼らが初登攀する2年前1936年7月21日に4人の登山家(エディ・ライナーとヴィリー・アンゲラーのオーストリア人とアンデル・ヒンタシュトイサーとトニー・クルツの南ドイツのバイエルンから来た二人)が北壁に� ��み、、、全員遭難するが最後のトニー・クルツは救助隊の目に前でその命を絶った。
「白い蜘蛛より抜粋」
トニークルツは天国と地獄の間にぶら下り、氷の壁の中で落石に脅かされ、しばしば滑り落ちてくる雪塊に見舞われている。彼はバリバりに凍結した8メートル程のザイルを一本の手と歯で縒り目を解く。五時間も。時に大きな雪崩が来て巨大な雪の塊が飛んで行った。アングラーが凍結から解放されて落ちて行った。ついにトニー・クルツは懸垂下降が出来る。30.35m降りてきた。そこでザイルの結び目がトニーの腰のシュリンゲの下降用カナビナに引っ掛かった。結び目のコブが大きすぎる。
トニーはどうしてもカナビナのリングを通す事が出来ない。彼はうめく。トニーは独り言を言いながら、力を振り絞� ��て挑戦する。しかし、力はもう残っていない。力は尽きた。まだ何か言おうとしているか、、。今度はハッキリと話す。「おれはもうだめだ」彼の身体が前に傾く。ガイドから手が届きそうなところで奈落の上で揺れながら、死者は空中にぶら下がっている。
「白い蜘蛛」はアイガー北壁の登攀史の本で、多くの日本人の登頂者と遭難者の記録も記載されてある貴重な一冊である。
2010年05月08日(土)晴れ
本来、ソケイヘルニアの手術が無ければ、山仲間と残雪の唐松岳に行く予定だったが、、、諦める。天気が良いので本栖湖の富士芝桜を見に行く。自宅を6時過ぎに出て、現地に8時30分到着するが、もう駐車場は八割方埋まっている。竜ヶ岳の真下にあり、見上げると東屋が確認出来る。
駐車場から5分程歩くと会場入り口があり、簡易売店があり、呼び込みのお兄さんの声が元気いい。芝桜はまだ5分咲で、若干去年より開花は遅いみたいである。しかし、十分見応えがある。池と芝さくらと富士山は絵になる。奥に行くと足湯、大太鼓の実演、売店がある。中国人も結構きていて元気である。その勢いで日本人負そうである。中国人元気元気。
我々が、帰る時には、入る車で渋滞している。何でも早め早めが一番である。
2010年06月06日(日)晴れ
5月18日(火)に四谷の弘済会館にて、登山ガイド認定授与式に行く。日本山岳ガイド協会の総会と懇親会も兼ねている。今回70名程度受かり、この授与式に参加したのは12〜13名である。日本全国からであるから、普通の日の夜の17:30� ��は近場の人しか来れない。会長の自民党総裁の谷垣氏は公務が忙しく、女性で世界三大北壁を登った今井通子氏より、各人に認定書を授与される。
各、来賓の挨拶があり、日本山岳会会長、日本勤労者山岳連盟会長、環境省の役人、登山専門ツアー代表等の挨拶があった。懇親会に参加している人を見ると、山の専門誌でお馴染みの有名登山家がたくさんいる。私が知っていても向こうは知らないので、今回,私と同じ登山ガイドに合格した伊那から夫婦で来た吉田さんと立食パーティー(懇親会)の時間を潰す。
吉田さんは都会から伊那に移り住んで、夫婦で登山ガイドを始めるみたいである。主に沢登りがメインみたいで、帰宅して吉田さんのHPを見ると、なかなかすごい実績の持ち主で驚く。
5月25日(火)今度� ��、登山ガイドを生業にするには、日本山岳ガイド協会の下部組織である全国の団体に入り正会員になりそこからカイド協会へ推薦されてやっと正式のガイドとして登録される。日本で一番大規模なNIAJに申請する。正会員になるには、2名以上の推薦が必要であるので、アトラストレックの社長で、日本山岳ガイド協会の専務理事でもある磯野氏の推薦でNIAJの正会員になる事が出来、25日の夕刻、NIAJの副会長でもある今井通子氏、カモシカスポーツ社長高橋氏の自宅兼NIAJの事務所に資格認定証とガイドバッジを取りに行く。
今回5名が新しくNIAJの正会員である。経堂の静観な住宅街にある今井通子氏宅に集合していた。福島、群馬、新潟、等から資格認定証を取りにきていた。会長はアイガ北壁ダイ� ��クトルートを今井通子氏、加藤兄弟、と開拓した天野氏である。又、マッキンリーに何度も案内している大蔵氏である立派なガイド団体である。天野氏からバッジと資格認定証をいただく。お茶菓子を食べながら自己紹介をする。みなさん実際に活躍しているプロガイドである。
6月6日(日)晴れ。早朝、こども自然公園に行く。青葉が濃くなり、アジサイの花の咲き始めている。何時も通る大きな楠木の下にテンナンショウの花が咲いていた。去年も咲いていたが、、、何者かが折ってしまって頭にきていたが、、、植物の生命力は素晴らしく再生していた。こども教育田に行くと、もう田植えが終わっていて、ウグイスとカエルの鳴き声が気持ちいい。
2010年09月18日(土)
SMさんが小淵沢に別荘� �買ったので、ご招待にあずかり、夫婦で行く。SMさんは、昔勤めていた会社の山岳部の先輩で、このたび会社を退き、別荘暮らしを始めるので、元山岳部の仲間が呼ばれた。他に、Mさん、SGさんである。三連休の初めであるので、中央高速は大渋滞である。しかし、我々夫婦は早朝5時過ぎに自宅を出たので渋滞に遭わず小淵沢の別荘に9時前に到着する。
入口にデカイ彫刻が施してある噴水があり、その回りに立派なトイレ、待合所、実物の貨車も陳列されてあり、何処かのテーマパークにでも迷い込んだ感がする。そこを突き進むと左に、レストラン、温泉、ホテルの入口の看板。道なりに行くと立派な別荘群が現れる。一区画200坪以上ある敷地内に、これぞ別荘だと言う個性ある建物が森の中に点在している。その� �角にSMさんの別荘がある。
元の持主が歳の為手放した為、室内の家具から台所用品その他全てそのまま置いていったので、特に住む為に買う必要はなかったみたいである。築25年にしては、保存状況は良く、格安で手にいれたみたいでラッキーみたい。最近持主の代変わり、又リーマンショク等で別荘を手放す人も随分増えたみたいである。
あとの先輩達は、電車で来るみたいで、SMさんが駅まで迎えに行く間、豪華噴水の前で待っていると、散水車、お弁当配達車、管理組合の車、ホテルの車、工事関係の車等々が、頻繁に出入りしている。結構広そうな別荘地なので管理が大変で管理費も高そうと思っていると駅まで迎えに行ったSMさんの車がやって来た。何十年かぶりに、Mさん、SGさんと挨拶を交す。
さ すが、歳には勝てず、、、頭には白いものがいっぱいあり年月を感じる。しかし、声は昔のままである。別荘に入り、登山の支度をして、近くにある入笠山に行く。私の車一台に5人乗りいざ出発する。富士見パノラマスキー場を右に見て、グングン高度を稼ぐ。今回、1955mの入笠山の頂上付近まで、車を乗り入れ、歩く時間は30分程で着いてしまう。マナスル山荘(天文台があり有名)前に、10台程駐車している。
下から歩いても良いが、、、、やはり立派な林道が出来てしまうと車で此処まで来たくなるのは人情である。やっと、一台駐車出来るスペースを見つけ突っ込む。皆さんにストックを配給してデッパツ。登りはともかく、下る時ストックの有難味を痛感する。左手にお花畑?(冬はスキー場)を見て登りだす と直ぐ鹿除けネットが2箇所もあり、この付近も鹿公害に悩まされている。困ったものである。これも我々人間に責任がある。
熊笹の中を進んで行くと、紫色したトリカブトの花が美しい。又ノコンキクも沢山咲いていたが、、、6月のスズランの時期に比べて花の数は極端に少なく、、、、、仕方がない。頂上手前に岩場コースと巻道コースがある。当然、皆さんの体調を考えると巻道コースを採用する。頂上には、それなりの人が居て、それぞれのポジションでランチタイムが始まっている。
我々も、ピクニックシートを広げランチタイムとする。各美味しいオニギリの配給があり、美味いお茶とロイヤルミルクティーを飲みながら、八ヶ岳連峰の峰々を堪能する。皆さん、久ぶりのハイキングで笑顔が素晴らしい。来た道� �戻り、別荘近くの泉温泉健康センター(源泉:51.7度。ナトリウム炭酸塩化物泉。一般:700円)に行く。夜は、近くのスーパーですき焼きの材料と酒を買い込み別荘で飲み食いする。深夜まで、昔の山の思い出話しに花を咲かす。会社仲間だと、退社すればそれで縁が切れるが、、、、山と言う共通の趣味があれば、会社を離れても何十年経過しても付き合いが出来るのが良いところである。翌日、自宅にて「ワンちゃんサロン」があるので別れを惜しみながら家路についた。
2011年01月03日(晴れ)
今年も例年の如く初日の出です。
2010年12月31日16時37分(御前崎)
2011年01月01日6時50分(吉田海岸)
2011年01月01日6時50分(吉田海岸)
2011年01月02日6時� ��0分(御前崎灯台)
2011年01月02日6時50分(御前崎より富士山)
2011年01月02日12時35分
大井川鉄道(川根温泉)
2011年02月13日(日)晴れ
静岡の義母が2月11日、自宅近くの裏山のお墓参りに行く。その日は非常に寒く帰宅後、義母の様子がおかしくなる。島田市民総合病院の脳神経外科に救急車で運ばれる。25mmの脳内出血がCTで判る。そのまま、3週間の入院生活に入る。介護認定の為、町の介護担当者に査定を受ける。要介護か要支援か、、、?。それによって、援助資金が大幅に変わって来る。
そのため、ホームセンターで手摺りを購入して、廊下に敷設する。業者の見積だと、一メータあたり12000円である。私が敷設すれば、2000円である。いくら国から補助 金が出るにしろ、ぼったくりみたい。業者も仕事が少ないから、仕方がないかも知れないが、、、、。国の介護予算も無くなる訳である。
早朝、家の近くの大井川河口の海岸に行く。昨夜来の雪が、、、南アルプス方面に多く降った見たい。海岸では、シラス漁が盛んに行われていた。
大井川河口から南アルプス
吉田海岸(シラス漁)
2011年04月11日(月)晴れ
天気が良いので、家の近くの保土ヶ谷公園に桜を見に行く。例年より開花が一週間程遅く丁度今が見頃である。
公園からみなとみらいのランドマークタワーが見える。その後、西谷の浄水場にある水道記念館に行く。近代水道設備の発祥の地で、そこからの展望は素晴らしく横浜みらい地区が一望に見回せる適地である� �
保土ヶ谷公園
西谷浄水場
2011年04月24日(日)晴れ
金曜日の夜、妻の実家の大井川河口の吉田町に行く。義母が脳内出血で畑の手入れが出来なく、今回、畑の手入れに行く。タマネギの畝の周りには雑草だらけで、、、、、もう大変である。鎌で畝に周りの雑草を取り除いていくと、ようやく、タマネギが顔を出してきた。やっと一安心である。余った土地に畝を造り、ホームセンターでナス、キュウリ、トウガラシ、パプリカ、トマト等の苗と腐葉土を買い込み、畝の上にバラ撒き、優しく苗を植えてきた。うまく育つと良いが、、、、、、。
手入れ前
手入れ後
2011年06月18日(土)雨
義母から、タマネギを取りに来いとの連絡で金曜日に静岡県榛原郡吉� ��に行く。今月19日で高速代1000円が終了するので、駆け込み旅行が多いと思ったが東名はそれほどでもない。土曜日の早朝、雨が降っていないので、畑仕事の前に藤枝の高尾山に行く。家を4時に出発する。この時期日の出は4時35分過ぎなので、もう外は雲っているが明るい。
24時間コンビニでパンとおにぎりと牛乳を買い、藤枝の不動峡の高尾山入り口に車を進める。いつも行く、滝ノ谷の蕎麦屋を通り過ぎ、ドンドン林道を進んで行く。林道行き止まり手前にマス釣り場の空き地に車を駐車する。マス釣り場を覗く。肝心のマスがいない。まだシーズンが早いのか、閉店したのか閑散としている。
雨が降り出してきたので、傘を差して5時に出掛ける。少し、林道を5〜6分行くと高尾山への標識が現れる。あまり� ��まれていない草の生い茂った沢へと行く。沢幅3m程に丸太が一本渡してあるだけである。注意しながら渡り尾根が出るまで竹林の急坂を登って行く。尾根からは傾斜も緩くだらだらした道が続く。雨が若干激しくなり、薄暗い杉林が1時間位続く道を行くと山頂であるので今回はここまでとする。
朝食後、本家裏の畑に行き、タマネギを取りに行く。、義母が脳内出血で倒れていらい、畑の手入れが出来ず肥料もやらず、心配していた。やはり、小粒のタマネギばかりである。その後、畝を造り、金時芋の苗を藤田農園で購入してきて、30株を植える。秋頃の収穫が楽しみである。周りに生えているビワの実を採ってほおばる。小さいので種ばかり大きく実が少なく食べる所がないが、それなりに甘い。
その後、吉田港側の ホント小さな造船所を見つける。河港の松林の中にあり、数トン漁船が出番を待っていた。今回の東日本震災でこの様な漁船が何千と津波に流された事だろう、、、、心が痛む。
高尾山入口
吉田港脇の造船所
出番待ちの漁船
2011年11月19日(土)大雨
早忘年会で身延山と十谷温泉に行く。妻の高校の同級生仲間と連れ合いのコンビで、私が幹事で、雨の中、私の車でまず身延山に行く。富士川サービスエリアに着くころに雨が激しくなってきた。今回紅葉と温泉とのふれ込みで行くがこの雨では、仕方がない。
やはり、身延山もこの雨、人出は少ない。早々に寺前の玉屋旅館に入り、名物のほうとう鍋を食べに入る。以前は羽振りを利かせた旅館であるが、、、、、(昭和初期の雰 囲気あるレトロな旅館)。
その後、雨の中、車を飛ばし、大柳川渓谷にある十谷温泉の源氏荘の露天風呂に全員で入る。(露天風呂専用の男女湯着が旅館に準備してあるので、女性も安心)紅葉を堪能して大雨の中帰路に着いた。
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